SCOPE EYE

 

国家財政と税制

 

井堀利宏

 

東京大学大学院教授

Ihori Toshihiro

 

Profile

いほり・としひろ■1952年生まれ。東京大学卒業、ジョンズホプキンス大学大学院(Ph.D取得)。東京都立大学経済学部助教授、大阪大学経済学部助教授、東京大学経済学部助教授を経て現職。著書に、『あなたが払った税金の使われ方』(東洋経済新報社)など多数。

 

税収中立の減税政策

 厳しい経済環境のなかで、減税を求める声も大きい。減税をすれば、家計の手取りの所得(可処分所得)は増加する。企業の手元資金(内部留保)も増加する。家計や企業が実際に使えるお金が増加すれば、たとえば、家計はより多くの消費をするし、企業はより多くの設備投資を行う。また、労働者に支払う賃金も増加するし、雇用を維持するにも、余裕が生まれる。不況のときに政府が減税をして、民間の経済を支援するのは、1つの有力な経済政策である。

 小泉内閣の税制改革方針は、当面の2年間でマクロ経済を活性化させるために減税を先行させ、そのための財源は公債の発行で捻出する。そのあとで、税体系の抜本的な制度改正を行い、最後に、財政赤字削減のために必要最小限の増税も検討するというシナリオである。

 しかし、中期的な税収中立の制約のもとで減税しても、マクロ経済の活性化にどの程度有効だろうか。人々は将来の政府行動、特に財政赤字の将来負担などに、かなり関心をもっている。現在の減税と近い将来の増税とがセットで決定されれば、ネットでは減税にならないから、民間部門の税負担は実質的に軽減されない。したがって、現在から消費や投資はそれほど刺激されないだろう。

 では、減税だけを決めて、将来の増税を約束しないときは、効果があるだろうか。確かに恒久的に減税されれば、現在から将来にわたって民間部門の税負担は軽減されるから、民間消費や投資にはプラスに働くだろう。しかし、問題は恒久的な減税が可能かどうかである。かりにマクロ経済が活性化して、2%程度の潜在成長率が実現したとしても、それで得られる自然増収が財政赤字を削減する効果は小さい。減税しても、その効果に多くは期待できず、また、将来景気が回復したからといって、自然増収で財政再建ができるわけでもない。いずれは歳出の削減だけではなくて、何らかの形で税負担の増加は避けられない。民間の家計や企業は、近い将来、ある程度の増税は不可避であると考えるだろう。つまり、今日のわが国の財政状況を前提とする限り、恒久的な減税は公約しようとしても、実現不可能な公約でしかない。したがって、減税だけ先行実施して、将来の増税を約束しなくても、減税政策のマクロ経済活性化効果はほとんどない。

 このように考えると、1990年代に入って公債発行による所得税減税政策が、期待された消費刺激効果をそれほど発揮しなかったのは、当然の結果である。財政赤字が累増するほど、減税政策のマクロ需要刺激効果は割り引いて考えるべきであろう。

 

税収中立での税制改革

 確かに、経済の活性化に役立つ税制改革は重要である。すなわち、法人税など生産を直接攪乱する課税を軽減し、所得税や消費税により重点をおく税制改革は、マクロ経済の活性化につながる。具体的には、法人税率を引き下げ、投資減税を拡充し、企業の損失を繰り延べ、繰越できる期間を大幅に延長する代わりに、個人所得税と消費税を増税する税制改革である。こうした税制改革は生産段階でも減税で企業所得の限界税率を引き下げるので、それなりに経済を活性化するだろう。

 また、法人部門から家計部門に税負担の比重を移すことは、受益者負担の原則を税の世界に持ち込む際にも有益である。法人税は転嫁されやすい税であるとともに、転嫁される先が無数にあり得るために、最終的に誰が負担しているのか不透明な税である。したがって、政治的には安易に増税されやすい傾向がある。実際、わが国でも法人税は財源捻出対象として、増税されてきた。90年代に入ってそうした傾向が頭打ちとなったのは、法人税を取り巻く国際的な環境の変化、すなわち、世界的な法人税引下げ競争の圧力によるものである。これに対して、消費税や個人所得税は最終的な負担者が特定しやすい税である。その分だけ、増税への政治的抵抗も強い。そうした税をあえて増税するなら、当然、増税分の財源を効率的に公平に使うべきだという圧力も高くなる。これは、無駄な歳出を削減するのに有効である。

 

納税者投票

 同時に、税金を効率的に公平に使うしくみが、これまでの納税方法で欠けているのも確かである。財政問題で国民がコスト意識をもっとも実感できるのは、納税である。そこで、自らの納税額に応じて、政府の歳出の使い道をある程度拘束する納税者投票(あるいは、部分的目的税)が検討に値する。その目的は、民意(=納税額)をより財政運営(=歳出内容)に反映させることにある。もちろん、納税額すべてについてこうしたアプローチはとれない。しかし、所得税を確定申告する際に、使い道をある程度選択できるようにすることは、実務上も可能であるし、納税意識の向上にも役立つ。

 たとえば、各人の所得税納税額の3分の1について、各省庁別の予算(あるいは目的別の大まかな区分)への配分を指定できるようにする。本来、所得税の基本はすべての国民が自分で申告する制度である。所得税を全員確定申告する制度に変更すれば、納税者投票も円滑に導入できるだろう。

 納税者投票のメリットは、形式的な民主主義を補完する点にある。納税者が納税額に比例して、歳出の配分をある程度指定できれば、実際に歳出を使う各省庁や地方政府にとって、歳出内容についての評価を情報公開する誘因が大きくなる。異なる歳出項目間で政策の公開競争が進展する。これは、財政赤字の削減に効果があるばかりでなく、歳出内容をより効率的で公平なものに見直して、歳出構造を改革する圧力として機能する。中長期的に日本の税制や財政制度を改革していくときに、有権者あるいは納税者の理解と支持をどういった形で確保するかも重要である。公平で、より透明な財政運営につながり、結果として国民全体にとっても有益な形で税金が使われるように、税制改革が行われるべきである。