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なぜ知的財産戦略が急がれるのか

 

東北大学総長

阿部博之

Abe Hiroyuki              

 

Profile

あべ・ひろゆき■1959年東北大学工学部機械工学科卒業。1977年東北大学教授(工学部),1993年東北大学工学部長・工学研究科長を経て,199611月東北大学総長に。2002年2月、小泉内閣による知的財産戦略会議の座長に就任。日本学術会議会員,科学技術・学術審議会会長。

知的財産戦略の遅れ

 知的財産は,発明,著作物,商標など,研究活動や創造活動によって生み出される独創的成果のことである。

 米国は,70年代の終わり頃から,特許重視などの知的財産の国家戦略を強力に推進し,国際競争力の回復や拡大を図ってきた。なかでも,80年のバイ・ドール法(政府資金の研究成果の大学や企業への所属),85年のヤング・レポート(知的財産権保護などの通商政策)は,マイルストーンとして評価されている。

 わが国の知的財産政策が,米国に比較して20年遅れているといわれるのは,このような米国の国家政策の流れとその成功による。

 

わが国における知的財産への認識と取組み

 戦後50年,わが国が経済大国といわれるように成功した特徴は,端的にいえば,規格大量生産に象徴される産業構造と価値観にあったといえる。そこでは,焼跡から出発し,米国等から導入した技術に改良を加え,さらに優れた性能の製品をしかも廉価に作り上げた,日本人の学力と努力によるところが大であった。

 このような流れは,基本特許の創出よりも改良に力を注ぐ方が効率的であること,大学の研究についていえば,新しい学問分野や新しいパラダイムを生み出すことよりも,米国等で流行っている分野の中から研究テーマを探す方が国内での評価が高いことと重なった。このことはさらに,大学に最も向いている基礎研究と高等教育の質に,わが国の社会・経済システムが大きな関心を払わないことにつながり,その結果,しばしば指摘されているように,建物など大学の研究教育環境の劣化を招くことになったのである。

 言い換えれば,わが国の産業を含む社会構造と価値観は,その基調は後追いと改良である。したがって,さらに後発の中国などアジア地域の各国の追い上げをもろに受け,コピー製品や特許侵害による深刻な被害を受けているのは,いわば当然の帰結であるといえる。しかし,このような基調を今後すべて否定していくとすれば,それはもちろん賢明ではない。

 ところで,わが国の政府や企業は何もしてこなかったわけではない。特に近年は,さまざまな対策が目白押しである。

 政府についていえば,府省庁等がそれぞれ別個に鋭意努力を重ねてきたという日本流の対応であり,知的財産政策ではその限界が特に顕在化してきているといえる。そこに米国などのように国家戦略への脱皮が強く求められる。

 

知的財産戦略会議の設置

 以上のような動きの中で,小泉総理主宰の知的財産戦略会議が2002年2月に設置され,筆者が座長を命ぜられた。第1回を3月20日に開催し,時間との勝負を意識して,7月3日には「知的財産戦略大綱」(以下「大綱」と略称)を決定することができた。3カ月余りでまとめることができたのは,起草委員会(委員長中山信弘東大教授)に負うところも大きい。

「大綱」はその実施について次のように述べている。

 “遅くとも2003年の通常国会までに,知的財産

の創造,保護,活用が活発に行われることを国家目標とし,「知的財産戦略本部(仮称)」の設置,「知的財産戦略計画(仮称)」の策定等を内容とする「知的財産基本法(仮称)」について,必要な検討を行った上で提出することとする。”

 なお,発表直後から「大綱」に対しては,さまざまな反響があった。これらの意見や評価はおおむね極めて前向きのものであるが,知的財産立国の実現に向けて,なお不十分な箇所や危惧する部分についての指摘,政府の取組みに対する強い要望などが数々見られた。これらは知的財産戦略会議にとっても今後の課題となるであろう。

 

知的財産立国へ

 大学セクターの一員として,特に知的財産の創出について追記しておきたい。

 科学研究ならびに新しい科学技術の創出については,極論を述べれば米国の一人勝ちともいえる趨勢である。その中で,国際的に極めて高い評価を受けているわが国の研究者は,パーセントはともかく,多くを数えることができるのはすばらしいことである。

 昨年発表された世界最大の科学情報会社ISI 社による被引用論文数のランキング(Science Watch 124, July/August 2001 )はその一例であり,19の研究分野の各トップ20を見ると,米国の研究機関の圧倒的優位の中で,6分野でわが国の5大学と1つの民間研究機関が名を連ねている。

 ランキング信仰にはもちろん問題があるが,わが国がどのような分野で強いか,など,多くを読み取ることができる。

 いずれにしてもわが国においても,これらの研究者が,米国の大学等と比較して,あまり劣らない条件や環境のもとで,世界をリードする知的財産の創出に打ち込めるような諸整備が強く望まれる。

 また,知的財産の創造,保護,活用のすべてにわたっての人材の養成が肝要かつ急務であり,これも大学の大きな役割である。

 後追い研究を重視する社会は,関連する特定の分野の専門家を集めて集中投資を行う。その方が効率的であるからである。そのような社会は,新しい学問分野やパラダイムの創出を必ずしも重視しない。このことは,大学教育の軽視にもつながる。

 わが国の場合,高等教育に対する公財政支出は,国公私立大学すべてを含めて,GDP 比にしてOECD諸国の最下位にあるといわれる。高等教育に対する公財政支出の抜本増を図っていくことがこれからの道筋であり,知財戦略の太い柱の一つではないだろうか。

 知的財産立国は,官民学を通して,まさに21世紀のわが国をどう設計していくかにかかっているのである。