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ワークシェアリング再考

 

慶應義塾大学教授

清家 篤

Seike Atsushi              

 

 

Profile

せいけ・あつし■慶應義塾大学商学部教授。博士(商学)。専攻は労働経済学。1978年、慶應義塾大学経済学部卒業後、同大学大学院商学研究科博士課程修了。同大学商学部助手、助教授を経て、1992年より現職。著書に『高齢者の労働経済学』日本経済新聞社,『高齢化社会の労働市場』東洋経済新報社(「東京海上各務記念財団優秀図書賞」、「労働関係図書優秀賞」)、『生涯現役社会の条件』中公新書、『定年破壊』講談社、『労働経済』東洋経済新報社などがある。

 

二種類のワークシェアリング

 春闘の論議が本格化しだした昨年暮れごろから、ワークシェアリングという言葉をよく耳にするようになった。一人当たりの労働時間を短くして、その分だけ雇用を増やそうというものだ。雇用情勢の厳しい折、なかなか魅力的なアイデアである。

 このワークシェアリングは,さらに大きく二つのタイプに分けられる。ひとつは,失業率急増といった緊急の雇用情勢に対応して、現在の雇用を守るために行うもの。もうひとつは、より長期的な視点に立って、労働時間を思い切って短くすることで、一人一人は短い労働時間でより多くの人が働くような社会を作ろうというものである。いわば前者が緊急避難型、後者が本格型ということになる。

 

今春闘でのワークシェアリング論議

 このうち今春闘などで盛り上がったのは緊急避難型の方である。失業率が史上最悪の高さになるなかでの春闘であったから、労使ともあらゆる手段を講じて雇用を守ろうとしたのは当然である。そこでワークシェアリングに期待が集まったわけだ。とくに今春闘では、厳しいデフレ経済のなかで雇用を維持するためには、名目賃金を削る必要があったから、ワークシェアリングというかたちで、労働時間を削った分だけ月額給与を削ることに意味があった。

 要するに、ワークシェアリングで雇用を増やす、というのではなく、ワークシェアリングで労働コストを抑制し、少なくとも現状の雇用を守る、ということである。これは、現在のような雇用情勢のなかでギリギリの雇用を守ろうとすれば理にかなっている。ワークシェアリングで労働時間短縮という成果を得たということで、名目賃金の支払額が減ることへの労働側の納得もギリギリ得られるという大人の解決だろう。

 

高齢化とワークシェアリング

 問題は、より長期の本格的ワークシェアリングをどう評価するかである。多くの人がパートタイマーで働くオランダのような社会を、日本の将来像として考えられるかということである。

 たしかにこうした社会を目指すという選択肢は、真剣な考慮に値する。とくに専門職など、高度の職業能力を持った人が短時間就労可能になれば、仕事と家庭生活の両立を図りたい女性や、体に無理のない範囲で働きたいと考えている高齢者の持っている能力を、もっと活用できるようになるはずだ。これからの少子高齢化社会にふさわしい働き方である、と考えることもできる。

 しかし同時に,この少子高齢化ということを考えると、現在フルタイムで働いているような人が、本格的に労働時間を短くして働くというのは、少しばかり無理があるのではないかと思われる。少子化の急速な進展によって、現在のままではまもなく労働力人口、すなわち働こうとする日本人の人口が減少に転じる。たしかに現在は不況のためもあって労働力は過剰である。しかし将来的にみえれば、一定の経済成長を維持するために必要な労働力人口は、現在のままでは不足も予想されるのである。

 労働力人口が減少するなかで経済成長を維持するには(外国人労働力の大幅導入を考えないとすれば),一人当たりの生産性を大幅に上昇させるか、女性や高齢者など現在活用されていない人口にもっと働いてもらうか、あるいは一人当たりの労働時間を増やして人数の減少をカバーするか、が必要となる。おそらくそのすべてを行わないと間にあわない。たしかに,本格的なワークシェアリングによって女性や高齢者の労働力化が進めばこの部分での労働力人口は増えるが、全体的人口減少のなかで、労働力人口全体の減少は避けられないだろう。

 

ワークシェアリング導入はメリットとデメリットをよく考えて

 こう考えると、現在フルタイムで働いているような人たちの労働時間を大幅に短くするようなワークシェアリングというのは、ちょっと想像し難いのである。むしろ少子高齢化の時代の将来像としてより現実的なのは、フルタイムで働く人たちの労働時間はほぼ現状程度で推移し、これに加えて短時間就業の女性や高齢者の数を増やすことで、全体としての労働投入(労働者数×一人当たり労働時間)をなんとか確保していく、といったところではないかと思うのである。

 たしかに,極端な長時間労働や有給休暇が半分しか消化されていないという現状は改善を要する。また,仕事と家庭生活の両立をはかれるような働き方を目指すということは,これからも着実に進めていくべき政策課題である。サービス残業などは論外として、国際的にもまだ低い時間外割増率などを高めていくことも考えるべきであろう。

 しかし,すでに製造業生産労働者の年間労働時間で見れば、ヨーロッパ先進国よりは長いものの、アメリカよりも短くなっており、フルタイム労働者の労働時間の大幅短縮を行うことは、企業の国際競争力上かなり厳しいものとなるだろう。ワークシェアリングの結果、日本企業の競争力が低下して雇用機会も失われるといったことになってしまっては、まさに本末転倒といわざるをえない。

 また,ワークシェアリングはよくいわれるように、それに適した仕事とそうでない仕事がある。定型的な仕事や、専門職でもサービスの質をそろえやすく交代可能な仕事なら、一つの仕事を二人で分け合うことは比較的容易だ。しかし非定型的労働や属人的能力に依存しているような仕事では難しい。また,技術的に可能な仕事でも、一つの仕事を二人で分けることによって生じるもう一人分の教育研修費や交通費などによるコスト増をどう吸収するかという問題もある。こうした問題をクリアして、実現可能であれば労使合意の上で個々の企業が本格的ワークシェアリングを行うことはまったく問題ない。

 しかし,これを社会全体の就労モデルとするということについては,慎重に考えるべきだ。たしかに、そのメリットも大きいわけであるから、将来の可能性をすぐに否定するというのも正しくない。一時の流行に踊らされるのではなく、そのメリットとデメリットをきちんと整理した上でじっくり選択すべきものであると思う。